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人生は変えられる。お嬢様学校から転落した”夜の女”の逆転ストーリー

こんにちは。よるこです。

わたしは2022年24歳になって間もない頃、突然思い立ったように東京行きのチケットを取り、すぐに入れる家を借り、そのまま面接へ行って銀座のホステスになりました。

その当時は訳あって
収入源なしのニート、所持金もほぼ無一文、スマホの連絡先は10人以下、文字通り何も持っていませんでした

ただ実家でニートとしてぼーっと暮らし、これ以上手放すものはないというほど「無」の境地。

”もういつ命が終わってもいいや”と人生を諦めていました。

そんな境遇から、人生を変えようと決意して

ガラッと音が聞こえるほど全くの別世界に来て
当時は想像もできなかったような景色をたくさん見ることができています。


(週末に遊びにいった宮古島の海です^^)

自慢話がしたいわけではなく、むしろ長い長いどん底期間の方が今の私を作っています。
もうお終いだ、と思った局面から、私の本当の人生が始まったのだと今は確信しています。

ですから、「簡単に稼げる」とか「辛いことは忘れて幸せになろう」といった、甘いけれども人生の醍醐味や命の可能性を薄っぺらくしてしまいそうな言葉をわたしのブログで浴びることはできません。

その代わりと言ってはですが、

私がこのブログを通してお伝えできるかもしれないこと

それは、望みが心からのホンモノであれば、人生は今日この瞬間から変えられるということです。

人生のリセットボタンがあったら別人になりたい

お金が欲しい

一生で稼ぐくらいの富を20代で手にしてみたい

人生の不安を無くしたい

もうどん底の恐怖を味わうのは嫌だ

不安や焦りは、時としてわたしの原動力であり、また時として、判断力を鈍らせ罠にハメこまれてしまう弱点でもありました。

「本気で人生を変えたい」

10代で実家を出た時から、生きることにがむしゃらで、大きな夢を見たくて、危険も厭わず好奇心のままに飛び込んで、数々の痛みも経験しましたが、経験は全て財産であり私の宝物です。

・コンプレックスの強い小学生時代、優等生は裏でビジネスをしていた話
・親に敷いてもらったお嬢様学校レールから大ジャンプした転機
・借金に追われ「生きている」と実感した愛おしき極貧生活
・当ブログで届けたい未来

以下はこのような内容の、お嬢様学校から転落した夜の女の逆転ストーリーです。

お嬢様学校から転落した夜の女の逆転ストーリー

コンプレックスゆえの優等生、小学生から裏ビジネス

私は物心がついた頃から、父親の顔を知りません。
(同じ空の下で今も健在だとは思います)

幸い祖父は小さな会社の経営者でもあったため、生活の不自由は感じないように育ててもらいました。

しかし、母はそれなりに苦労人です。
祖父も年で稼ぎがいつなくなるか分からないですし、小さな娘二人を育てるために土日も高くない給料で働き、夜は遅くまで資格の勉強をしていました。
(そんな姿を見ながら、子供ながら私も外食ではメニュー表の中で一番安いものを指して「これ食べたい」と言っていました。)

母は、将来娘には同じ苦労をさせたくないと思っていたはずです。
だからこそ、小学生から塾に通わせてもらい、教育にはお金をかけてもらっていました。

当時、わたしは父親がいないことと、小1の途中で苗字が変わったことに「周りと違う」コンプレックスを抱えていました。(今と比べて当時田舎では片親の子は少なかったです)

わたしはこの世界にいても良いのかな?

小さなわたしは、心もとない気持ちでいっぱいでした。

だからこそ勉強に打ち込んだり本を読んでいる時間は、他のことを忘れられて楽しかったのかもしれません。

「いい子ちゃん」に育てられて、親からもよく周りと比較されたからこそ、勉強や本を読むことに打ち込めたのかもしれません。

小学校ではいつも成績一番でした。
そのうち学校で習うことはすでに知っていることばかりで面白くなくなってしまい、授業中に宿題は終わらせていました。

「宿題を教えてほしい」
「宿題を写させてほしい」

周りのクラスメートに頼ってもらい、私はあることを思い付きます。

代わりに宿題をやってあげるから、100円ちょーだい!

内容は、自分ですでに解いた答えを写すだけ。
しかし購入者は、宿題に時間を割かれることなく、放課後真っ先に遊びに行ける

私の人生初のビジネスは人気サービスになりました。笑
(もちろん先生にバレないようにこっそりと)

その他にも、ベネッセの教材を友達とその母親に紹介して、紹介特典としてほしい付録(おもちゃや文房具など)をベネッセから受け取る紹介性のビジネス(?)のような活動もやっていました。

その当時から自分で「WIN-WINな提案」を考えながら人と接することが好きで、一度もサラリーマン経験をしたことがない現在に繋がっているのかもしれません。

お嬢様学校レールから転落死するほどの大ジャンプ

ありがたい親の恩恵を受けて、中高大とそこそこ有名どころな学校に通わせてもらいました。
いわゆる”お嬢様学校”です。

もちろん周りの友人たちもその親たちも根っからの安定思考な常識人。

そのまま行けば将来安泰だったはず(少なくとも同級生を見ていれば)ですが、私はどこでネジが外れてしまったのか、そんなレールを敷かれた毎日に嫌気が刺します。
こんなに刺激がない毎日に閉じ込められていては脳みそも心も腐って死んでしまうのでは
本気で危機を感じるようになりました。

そして18歳で実家を出てからは、勝手に海外へバックパックへ出かけたり、経営者や投資家のセミナーに足を運んだり、親の仕送りで生活しながら自由を噛み締めて暮らしていました。

ずっとこの世界で生きることに漠然とした不安に包まれていた私の
全く新しい世界への思い切った一歩。

自分の意志で外に出てみると、魂を震わせて生きている大人に出会うことができて、初めて将来に希望を感じました。

大学を辞めて起業しようと思いました。

社会の通念ではなく

自分の理念に従って生きることを決めました。

楽しい毎日でしたが、大学からは足が遠のいた結果、親を悲しませてしまいます。

母との心の溝は互いに大きな痛みでしたが、「本当の自立」のために乗り越えなければならない試練だったと思います。
今となっては、はちゃめちゃな娘を見守ってくれている母の愛には心から感謝です。

こうして、ハッピーエンド、、、、

かと思いきや、ここから私の「経済的自立」のための苦しい日々が始まります。

それまで、学生だからという理由で経済的に親の仕送りに依存した生活を送っていました。

しかし大学に通わなくなった私は親の支援を完全に断ちます。

当時、学生寮の家賃が管理費込みで9万円。貯蓄はほとんどゼロ。
少ないバイト代だけでは生活費すら足りない状態。
新しいビジネス(ネットワークビジネスでした)の誘いを受けて先行投資したためむしろマイナスからのスタート

生活苦とリボ払い地獄の始まりです。

借金に追われ「生きている」と実感した愛おしきド貧困生活

急いで引っ越して家賃を下げますが、それでもセミナーやビジネス仲間との集まりもあって大忙しの中、時間もお金も足りない状態。

寝ないで深夜バイトと早朝バイトをハシゴするような日もありました。
それでも家賃の支払いに間に合わない。

常識も知識も乏しく、リボ払いのカードを魔法のカードと勘違いして使いまくり、後から悲鳴を上げる始末。

月末は電車賃も足りなくて、2〜3時間歩いて移動しながら落ちている小銭はないか探していました。

それでも、

「誰かの目を気にし刺激のない毎日に閉じ込められた生活より、生きていると実感できて幸せじゃないか。お金がなくても心だけは貧しくならないように。心だけは豊かであろう

と、自分に負けないように日々言い聞かせながら、なんとか折れそうな精神を保っていました。

そんな数年を過ごすうちに、コロナ禍です。

個人事業主の給付金で首の皮をつなぎながら
コロナ禍でパンクしそうなコールセンター(成果報酬型)で働きまくって
なんとか過去の負債を全額返済できました。

それでも、収支がギリギリな生活からは脱せなかったです。

  • ネットワークビジネス→稼ぎよりも仕入れと固定費が大きかった
  • 営業系の成果報酬型案件→いくつも試したが続かなかった
  • 経営スクールへの人材紹介報酬→稼げていたが、ネットワークビジネスがバレて出禁

ということで、歌舞伎町の怪しいビジネスの面接に行ってみたり、卵子提供で稼げると聞いて問い合わせをしてみたり、ここでは書けないことも多々ありながらあらゆる手を尽くして生きるための方法を探していました。

その時はなぜか、キャバ嬢やホステスのようなキラキラ(ギラギラ?)した夜の世界は自分とは全く別世界だと思っていて、選択肢にありませんでした。

しだいに、頑張る中で、頑張りすぎたのかもしれません。

お金に困りすぎて見てしまった世の中のダークサイドに、知らぬ間に心が病んだのかもしれません。

ある日、必死に生きる理由が急にわからなくなりました。

東京の小さなワンルームを解約して、連絡先も消して、ほとんど荷物も持たずに実家に帰ることにしました。
心に何も浮かばなくなってしまい、精神科にも行ってみたり、自殺防止の電話番号にかけてカウンセラーさんに相談したりもしましたが、何もわかりません。

数ヶ月、ぼーっと「無」の状態で、過ごす中で、ふと目にしたYouTube動画。
たぶん、進撃のノアチャンネルだったと思います。

夢や目標を持って、自分の弱さと向き合って、普通ではない金額を稼いでいる夜の世界の女性たちがかっこいいなと思いました。

一度やってみて、ダメだったら、また稼いだお金を使って次を考えればいいかな

もう失うものは何もない

特別な理由は何もなく、ただ根拠はないですが迷うこともなく、東京行きのチケットを取って家を借り、引っ越した翌日には銀座のクラブの面接へ行っていました。

未来


一度も就職したことがなく履歴書に書けることが何もないわたしを、何も言わず受け入れて、食べさせてくれて、居場所を作ってくれた環境が夜の世界でした。

もうこの世界から去ろうとしていたほどボロボロになった直後だったのもあり、最初の頃は、毎日出会うお客様一人ひとりに初対面なのに感謝が溢れて仕方なかったです。

一人一人との縁を大切にし、お客様の運気を上げるホステスになろうと思い、字画や漢字の由来など一字一句調べながら自分で源氏名をつけました。

人と真剣に向き合ってみる中で、いかに自分が無知で実力不足かも思い知りました。

夜の世界では、お客様から応援していただくことはできるけれど
これでは与えてもらってばかり。

自分から自信を持って何かを提供できているわけではないのに男性に頼り切ってしまうのは、どうも自分の性分じゃない。
周りの子たちみたいに上手におねだりもできない。。。

ただ相手のオーダーを御用聞きするだけでなく
本能的なわかりやすい欲求だけを女性性で満たすのではなく

もっと根本的な深い意味で、誰かを「支える」力を身につけたい。

今の私の言葉には、まだ力が足りない。
誰かを勇気づけたり、存在理由を全肯定する言葉を送っても、心の奥に届けることができていない。

過去のどん底に感謝しているからこそ、人の才能やポテンシャルが目覚めるような仕事をしてみたい。

何度も心をすり減らしてきた中で分かったことは、
「自分のためだけ」が理由になると、私はまた心が死んで目が澱んでしまうということ。

そして、大切な誰かのためを思うと無限のエネルギーが湧き上がってくるということでした。
(私の左手の手相にはボランティア線とアゲマン線(縁の下の力持ち線)があって、過去の経験と照らし合わせてすっと腑に落ちました。)

人の想いや志を支える人間になるために、
私はWEBでのマーケティングスキルをゼロから身につけることに決めました。

経営者の方と日々お話ししている中で、せっかくの想いや理念の込められた事業を、おこがましいですがもっと広げるお手伝いができると思ったからです。

まずは個人のレベルで、ゼロから月100万円を(夜職抜きで)WEBだけで稼ぐ力をつけます。
あくまでスタートラインとして決めた金額です。

そして、その過程で必要なことを全て、余すことなく、このブログに綴っていきたいと思います。

夜職で、事情があって辞めたくても辞められない人でも、WEBスキルでいつでもどこでも稼げる力があれば、人生をいくらでも良い方向に舵取りできます。

具体的には、ざっと以下のような項目で当ブログに残していく予定です。

  • 自他の豊かさを増やしていくためのビジネスのスキル
  • 現代のビジネスにおいて必須であるマーケティングスキル
  • 稼いだお金を減らさずに資産を「守り」「増やす」ために知っておくべきマネーリテラシー
  • 夜職で無理なく収入源を確保し、生きやすくなるノウハウ
  • 夜職を卒業した後のキャリア形成

お役に立つ情報発信ができるように頑張ります(^_^)

最後に、

とある知人経営者の方から聴き、私の心にジーンと響いた「人生について」考えさせられる言葉で締めくくりたいと思います。

シゴトとは、仕える事ではない。

志の事と書いて、志事(シゴト)である。

わたし達は志事を通して、徳を積み、最後は何も持たずにこの世を去る。

お金に振り回され、我武者羅になった過去も必要な経験でした。

しかし、この世を去る時にはお金もモノも何も持っていけません。

ですが、残していけるものはきっとあります。

未来に、誰かの心に、何かを残せる人間になれるように

もがきながら発信していきますので、読んでいただけると嬉しいです。
よければコメント頂けたら、励みになります^^

サイト運営者
大学中退、バックパッカー、投資家に弟子入り、紆余曲折経て24歳で銀座のホステスになる。 お世話になったお客様のもっと支えになりたいと追究した結果、ゼロからWEBスキルで独立を目指すことに

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